開運ってワードが世の中には溢れていて・・・
昨日は面白いことに、「開運コーヒー」なる看板も目にしました(笑)
ってかさー・・・
開運ってなんぞや?
ってところって意外と人それぞれの解釈があるようには思うねんけど。
私の思う開運ってなんなのかを書いてみようと思いますね^^
今は、セッション名を変えているのですが「開運セッション」として半年近くやってきていたのですが・・
開運ってワード自体が曖昧で、かつ人によって捉え方が色々なんだなーって思うところから変えたってのもある。
ざっくり
今より良くなる=開運
いいことが起き続ける=開運
ってことなんだと思うけれども。
私の思う開運ってのは、世間一般の思う開運とは少し違うのかもしれない。
私の思う開運、そしてセッションを通してこんな風になって欲しいってのは同一意味で。
自分らしく前向きに生きられるようになる=開運
良いことも一見して悪いって思われることも一様に受け止められるようになる=開運
ってことだと思っている。
どれだけ開運を歌っているプロであったとしても、良いことも悪いことも起きるのは同じで。
それこそ、私良いことしか起きないんです!!って言ってる人ほど胡散臭いものはない(笑)
だって、人生て波があるねんやから・・・あかんなーってタイミングだって、あって当然。
だけど、それをさも無かったことみたいに扱う人ってのは
なんか違うんだなーって思ってしまう。だからこそ、私は良いことも悪いこともオープンに語るし。悪いことから、自分の中にどんな思考の癖があるんだろう?って探るのが好きだから・・・ある意味、悪いことが来たとしても自分を探求するモードになるから感情的になることもない。(ある意味、自己探求の変態と言えるwww)
とまあ、変わった性質があるからこそ、私自身よくしたいってだけでなくて。
この経験や学びをシェアすることで周りの方が少しでも良い方向へ進んでくれたらって思うのね。
こんな話をしていたら・・・
「あなたは愛の人だね。」
って呑みの席で言われたのだけれども。
確かにそうなのかもしれないなーって思う。
普通なら、そこまで探求する?
ってところまで深堀りするし、もっともっとと知識も学び続けている。
そして、それをお客様に還元するってことを常に考えているから・・・仕事=天職だし
仕事=自己表現でもあり、経験をシェアして周りよ良くする導き手なんだろうなーってことを自覚していたりする。
とは言え、フワフワーってしたスピリチュアルが大嫌いなのは変わりない(笑)
なぜそこまでフワフワしたスピリチュアルが嫌いかって言うと、実は原因は明白で。
私の父が、そのフワフワ系スピリチュアルの最たるものだから。
子供としてはとても残念なお話ではあるねんけど、母という存在を亡くしてから。
とあるスピリチュアルの手法にどハマりして、それを何十年と続けている。
悪いことでは決してない。
それをすることで、生きる意味が父の中に見出されているようだから。
けれども、、、
その言動を一時期まじめに受けとりすぎた私は、スピリチュアルに対しての拒否反応すら覚えたことがあった。
お付き合いしている方がいると報告すれば
いつも「お前より良い女が現れて、どうせよそに行く」と神から降りてきたと興奮気味に語り。
けれども、そこにはなんの根拠もない。
挙句に、「インド人の嫁ができた。いついつやってくるからもてなせ。」
なんてことを言う。けれども、蓋を開けてみたら、連絡先もわからない妄想の中で話していただけ。
神が結んでくれたご縁だ!って言い張るけれども。連絡するから連絡先を教えろって言ったら、そんなのわからない。
かといえば、生活面ではまともだしで・・・・随分と混乱させられてきていた。
私自身が仕事として真剣に取り組むって決めてから。
父のあり方や言動と切り離しをすることができたけれども、それが完全にできるまでは嫌な思いしかしていない。
人を不安にさせる、嫌な気持ちにさせることを声高らかに自信満々で言う。
それって、本当に相手のことを思っているの?愛ある態度なの?
って疑問に思うこと、モヤモヤすることが本当にたくさんあった。
今となっては、反面教師で。
こうなってはいけないんだなって気持ちを思い出させてくれる存在でもあるから、翻弄されるあり方からは卒業できたのだと思う。
とは言え、そのあり方から抜けた方が良いよーってことは言っているけれども。
長年かけて培ってきた「あり方」だから、抜けるってことを決めることすらできないのかもしれない。
本来なら、もっと楽しい余生を過ごして欲しいなーって思うけれども、それが父の選択なら仕方ないことなのかもしれない。
実は、このことは全く初めて外に対して話す事柄だったりする。
今なら良いかなーって軽い気持ちでしかないねんけども。
事実でしかないし、それに対して感情的にならずにきちんと距離を置けているからこそ書けるようになったのだと思う。
親子関係ってさ、親のことを「嫌いになってはいけない」「好きでいないといけない」
ってのはブロックとしてあったりする。
けれども、個々の人間としてどうしても合わない部分だってあるのだから「嫌いになってもいい」って私は思う。
だって、それが人として自然な気持ちだから。
特に、この世代親の面倒を同居して見ている人たちだっていると思うねん。
こんな嫌なことされた!けれども「好きでないといけない」って気持ちはしんどいこと。
だから、あえて私は言っちゃう。
「嫌いになってもいい」
ってことを。
「悪い子でもいい」
ってことを。読んでる人が、少しでも気持ちが軽くなればって思います^^
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