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スピリチュアル迷子は悪いことじゃない、ただし目的地を決めることが大事

スピリチュアルを人生に活用する。
それは目に見えることだけに限定した生き方をするよりも、遥かに素晴らしく。
意味のあること。

 

 

 

とは言え、前々回書いたスピリチュアル迷子な方が多いことも事実で。
ありがたいことに、その記事がめっちゃアクセス頂いたのだけれども・・・

 

 

私個人としては、迷子っていいことのように思うねん。
つまりは、何が良いのかって軸が定まっていないからあちこち見比べている状態。
積極的に情報を取りに行こうとしている人だから、迷子になる。

 

 

 

そもそも、興味はあっても行動起こしてなかったら情報を撮りに行くこともしていないと思うねんね。
だから、行動を起こせているってことは単純に素晴らしいことだし、決して悪いことではない。

 

 

 

スピリチュアルに正しさを求めてない?

そういった人たちの中でも、何が正しいのかってのを求めている人もおるんやけど。
そう言った、正しさを求めるってのはなんか感覚として違うと私は感じてしまうのね。

 

 

 

なんでかって言うと、大元は1つ。
でもそこにアクセスする方法は千差万別あって、それが当たり前だと思うから。

 

 

 

アクセスするのに、正しいもクソもない。
だって、要は要となるところに繋がれば良いだけの話なんやもん。
それを、こうしないといけない!こうあるべき!って限定するのは、、、、

 

 

正直、気持ち悪い!!

 

 

 

色んなアプローチ方法があってよくて。
そのそれぞれが良い。
ただ、自分に合う合わないがあるだけなんよ。

 

 

 

神様、龍神、守護神何がいいの?

見えない守護する存在として、色んなものが挙げられる。
守護神やご先祖様、龍神などそれこそ千差万別。

 

 

何が正しいの?

 

 

 

って言うと、それも正しさを求めるのは違うくて。
色々あっていい。
全てOKってのが、私は在り方として良いなと思う。
もちろん、これが正しい、あれが間違っているってジャッジメントするのはどうぞご勝手にってところなんやけど。

 

 

 

スピリチュアル、目に見えないものに対して正しさを求めるってのが感覚として違うかなーって思うねん。
どんな存在が守っていてくれていたとしても、それは感謝だし。
もちろん、守りが変わることだってある。
人間は成長する生き物やから、ずーっとそのまんまってことはない。
手相ですら、年数が経てば変わると言われているねんから守りも変わるのは当然。

 

 

 

スピリチュアル迷子の先にあるものは

でも、一つだけ覚えておいて欲しいのが、自分にぴったりなものが見つかるって決めておくこと。

 

 

 

それを決めていないと、いつまで経っても迷子で抜けられなくなるから。
私も長いこと、迷子していたけれどもある時に、目的地を決めよう!って決めたことで
今の手法と出会えた。

 

 

 

だから、諦めることもしなくていいし。
私にぴったりの手法と出会えるって決めて、道すがらを楽しんだらええねん。

 

 

 

 

 

 

 

 

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