生きていくのには苦労しないといけない。
頑張らないといけない。
生きていくってことは、大変だ。
この感覚は、古き日本人的感覚のように思う。
だって、その感覚に従って生きたとて・・・きっと何一つ楽しくないだろうから。
仕事に打ち込むこと=善
確かに、一面ではそう。
けれども、人生の全体を見渡した時に、それが本当の意味での正解だったのかどうかなんてわからない。
貯金することを是として。
溜め込むことで、何一つ人生を楽しむことをできなければ。
それで人生が終わりを迎えたのなら、後悔することだらけのような気がしてならない。
とある本で、ある程度の資産を作り上げた男の話があった。
けれども、彼は節約することを毎日課して。
自分の楽しみに全くお金を使うことをしなかった、そんな彼が、最後子供達のお金の心配をしながら死んでいく。
本当は、幸せなお金持ちになりたかったと言いながら。
子供たちには、自分のようになるなと言い残して死んでいった。
その話が実話なのかどうかまでは、わからない。
けれども、そんな死に方をしたいのかと言うと・・・
嫌だとすくならず私は思ったのね。
前回、ブログで一番好きなことにお金を使えないお客さまの話を聞いて驚いたけれども。
一度染み付いた、そういった態度はあなたの血肉となってしまう。
行動、言葉、物事を判断する時にも影響を与える。
じゃー後悔せずに生きるって、どー言うことなのか。
それは、囚われをなくしていくこと。
そして自分の好きや嬉しい、楽しいに素直になること。
実は今日、誕生日だったんだけれども。
私は、離婚してから誕生日が大嫌いだった。
本来なら祝ってくれるはずの彼氏が祝ってくれなかったり、おめでとうメールは来ても
気持ちはとても虚しかったら。
けれども、昨年からその視点を変えてみた。
愛する人と一緒に過ごす誕生日にこだわりがあったのを手放した。
手放したことで、自分で自分を可愛がる日にしよう!って改めて決めることができた。
そして、今日は前からいってみたかった淡路島のカフェでブログを書いている。
楽しく、るんるんな気分で。
この後の、事業計画もざっくりと決めることもできたし。
海を見ながら、穏やかで幸せなひとときが過ごせている。
誰かに幸せにしてもらおうってのは、自分の幸せにするしないを相手任せにするのと一緒で。
それって、楽しい生き方じゃない。
そう気がついてから、一人であちこち行くのが益々楽しくなったのは
言うまでもない。
さて、お金の話に戻ると・・・それと同じことなのだと思う。
いつでもやりたいようにやるって決めれば、あり方は変えられる。
幸せなお金持ちになりたいなら、そのあり方を目指せばいい。
古い価値観を脱ぎ捨てるのも、良いもんだ。